【校長のつぶやき】入学式・始業式がありました (2025.4.8)
4月8日(火)、本校では午前中に始業式、午後から入学式が行われ、今年度村高生の学校生活がスタートしました。
新入生35名が新たに加わり、総勢、生徒150名、教職員55名で新学期を迎えました。
入学式前日、新入生の教室を回ってみました。新担任の先生が、新入生を迎える最終準備をしていました。
この黒板のメッセージ中央に、生徒の座席が分かるよう、マグネットの生徒表示が準備されていました。
掲示物からは、担任の先生の新入生に対する温かい思いが伝わってきます。「5つの『あ』」の掲示、素敵ですよね。担任の先生オリジナルなのかなぁ!?
こちらも、座席表を表示していました。
机の整えられた教室が、新入生を待っています。
中庭のサザンカらしき美しい花、今年2回目の開花となったようです。
また、体育館入り口奥手の野球場下斜面には、桜の花が咲き始めています。
ちなみに校地を囲むソメイヨシノの桜は、まだほとんど咲いていません。
午後からは、20名の御来賓の御臨席を仰ぎ、入学式が挙行されました。
「入学許可」の呼名では、新入生のしっかりとした返事が壇上まで届きました。
また、村田町長・大沼克巳様、本校同窓会長・髙橋秀夫様より御祝辞を頂戴しました。ありがとうございました。
新入生代表宣誓では、入学までの受験勉強について、努力してきた事がよく伝わりました。また、本校入学後の学校生活についてしっかりと抱負が語られていて、大変気持ちの良い決意表明がなされていました。緊張の中、大変素晴らしい宣誓を聞くことが出来ました。よく頑張りましたね!
私は、式辞を通して「自分に縁があった学校が、自分にとって一番良い学校」であることを新入生に伝えました。
私自身が、かつて「学校群制度の入試」を経験して高校生になったことを紹介することで、「入学するに至った学校(自分に縁のあった学校)での生活を大切にして欲しい」と新入生にエールを送りました。
今年度、役職定年を迎える私にとって、今回が「人生最後の入学式式辞」となります。
以下、入学式式辞を紹介します。
式 辞
優しい風が村田の地を吹き抜け、草木に命の息吹を届ける時節となりました。行く風は、里山に花や若葉の彩りを添えつつ、残雪をまとう蔵王連邦の山並みに向けて、ゆるやかに季節を運び上げています。
本日この春の良き日に、村田町 町長 大沼克巳 様をはじめとする多数の御来賓、保護者・御家族の皆様に御臨席を賜り、令和七年度入学式を挙行できます事に心より御礼申し上げます。
ただいま入学を許可いたしました三十五名の新入生の皆さん、創立百一年目の歩みをはじめた歴史ある本校への入学、おめでとうございます。合格発表の日、皆さんがはじける笑顔で御家族とともに合格を喜んでいる姿が、とても印象に残っています。
本日、晴れて宮城県村田高等学校の生徒になりました皆さんを、在校生・教職員一同 心より歓迎します。またこの日まで御子息・御息女の成長を見守り、支えてこられた保護者の皆様、感慨いかばかりのものでしょうか。心よりお祝い申し上げます。
本校は大正十三年 宮城県村田実科高等女学校として開校し 昭和二十三年に宮城県村田高等学校となり、これまでに一万人以上の卒業生を輩出してきた伝統校です。私は丁度一年前、本校に赴任しましたが、村高生の心の温かさ、他者を思いやり互いに気を配りあえる優しさ、学ぶ姿勢を大切にしている誠実さなどが素晴らしいと常に感じています。私が自分の学校を褒めるのは、手前味噌で少し気恥ずかしいのですが、村高は、生徒が生き生きと学校生活を送り、それぞれの可能性を伸ばすことができる学校です。私は、今年度校長として役職定年を迎えますが、最後の年を本校で迎えられたことに、感謝と大きな誇りを感じています。
新入生の皆さんは、どのような気持ちで本日の入学式を迎えているでしょうか。是非とも村高で学びたいという、強い思いを持ち本校を受験した新入生は、心からの喜びと希望を持っていることでしょう。
その一方で、もしかしたら皆さんにとって他にも入りたい「もっと良い学校」があった人もいるのかもしれません。では皆さん、「良い学校」とは、どのような学校なのでしょうか。勉強の成績が良い、いわゆる「学力偏差値が高い学校」が良い学校でしょうか。地域で認められる「ブランド力のある学校」とか、「近くて通いやすい学校」とか「学びたい学科や活動したい部活動がある学校」とか、「兄弟が通っていた学校」が良い学校だと思う人もいるかもしれません。ここにいる、三十五名の皆さん一人一人の「良い学校」のイメージがあって構わないと思います。どれが正しくて、どれが間違っている、ということはありません。
では、新入生の皆さん、私の考えを聞いてください。
私は「自分に縁があった学校が、自分にとって一番良い学校」だと考えています。
今から四十四年前、私は愛知県で入試を受けて高校生になりました。当時、愛知県の一部の高校には学校群制度という入試制度がありました。この入試は、二つの学校、A高校とB高校がグループになり、入試で両校入学者をあわせて選抜し、その合格者を、学校側がA高校合格者とB高校合格者とに振り分けていく、というものです。入試では「私の第一志望はA高校です」とか、「私はB高校に入りたいです」という本人の希望は一切聞かれません。学校の気風も異なります。例えば、私の通ったA高校のラグビー部は県内の強豪校でしたが、B高校にはラグビー部はありませんでした。生徒は、合格できた学校にある部活動を選ぶことしかできません。私の家からはB高校の方が近かったのですが、A高校に振り分けられたため、私は、毎日自転車でB高校の脇を通ってA高校まで通いました。
私の受験した年は、受験会場、合格発表会場がともにA高校でした。合格発表の掲示板は通路を挟んで両側に、壁のように設置されていました。千名ほどの受験生は、まずは、自分の行きたい学校の合格掲示板で自分の受験番号を探します。
見つからないと次は、振り返って背中側の掲示板から、自分の受験番号を探すのです。合格発表会場は、希望する学校に合格して大喜びする受験生、複雑な表情で合格を喜ぶ受験生、不合格を知りがっかりする受験生と、実に様々な表情に満ちたものでした。
A高校の生徒となった私は、かけがえのない出会いや経験に恵まれ、それらは大きな財産となりました。高校時代に、部活動を指導してくださった恩師の先生とは、今でも年に一度は御自宅に訪問させていただくなど、交流が続いています。
私は中学生の頃、A高校とB高校の、どちらが自分にとって良い学校なのか、ということはあまり考えていませんでした。こうした高校受験の経験があったからこそ、私は「自分に縁があった学校が、自分にとって一番良い学校」だと自然に考えられるのだと思います。
因みに、六歳下の私の弟は、私の後を追いかけたくて同じ学校群を受験しましたが、B高校での合格となりました。私は弟の合格発表に付き添いましたが、私と同じA高校に入りたかったにもかかわらず、B高校合格と分かったとき、本当に残念そうな表情をしていました。ですが、今考えると、弟にはB高校に良い縁があったのだと思います。
新入生の皆さん、皆さんにとっては、村田高校が一番縁のある学校だったのです。本校で、精一杯、自分らしく学び、友達を作り、かけがえのない学校生活を過ごしてください。
また、皆さんの活躍が、村田高校百一年目の新たな伝統を築いていくことにつながります。将来、皆さんの母校となる村田高校を「良い学校」にできるのは、学校の主役である生徒の皆さん一人一人の気持ちであることを、しっかりと胸に刻んで欲しいと思います。
保護者の皆様、改めまして本日は誠におめでとうございます。大切なお子様の成長を促すべく、学校は教職員一同、保護者の皆様との連絡・協力体制のもとで、教育活動に臨んで参ります。御家庭と学校がそれぞれの役割を認識し、共に足並みをそろえて協力・連携していくことで、大きな教育的効果が得られるものと考えますので、どうぞ本校の教育活動に対する、御理解・御協力のほど、よろしくお願いいたします。
本日 ご多用の中 ご臨席を賜りましたご来賓の皆様 誠にありがとうございました。今後とも入学生をはじめ村田高校に対するお力添えのほどよろしくお願い申し上げます。
結びに、高校生活の新しいスタートを切る入学生の皆さんと、この学び舎で学校生活を共にし、感動を分かちあっていけることを楽しみにして、新入生歓迎の式辞といたします。
令和七年四月八日
宮城県村田高等学校 校長 安斎 善和
式典を終えた体育館会場の様子です。(式典中は、写真撮影をすることが出来ないので終了後の写真で入学式の雰囲気を想像してください。)
ステージ壇上からの眺めは、このようになります。
最後に、ソメイヨシノはまだまだ見頃とはなっていませんでしたので、プール奥の「村高看板」の足下を彩る、かわいいスイセンの花を紹介します。
新年度がスタートしました。生徒、卒業生はもちろんのこと、このブログを読んでくださった全ての皆さんが元気に過ごせるよう心より願っています。