校長のつぶやき
【校長のつぶやき】藤棚情景2025(2025.5.15)
ゴールデンウィークの頃より、本校自慢の藤棚が美しい花で見事に飾られています。
本校庁務員のお二人が丹精込めて育て、手入れをしてくださったおかげで、今年も見事な藤棚の花を楽しむことができました。この時期にきれいに花を付けるよう、年間を通して気を遣って世話をしてくださっているとのことでした。いつも、校内環境の整備のみならず、季節折々の草木を楽しめるよう配慮いただき本当にありがとうございます。最初の写真は、早朝の青空を背景に撮影しました。
藤棚の下から快晴の空を見上げると、フジの花は輝いていました。
夕方の淡い光の中では、落ち着いた雰囲気の藤棚を楽しむことができました。
薄暮の藤棚、どうぞ御覧ください。
薄暮の白地を背景に、フジの花が映えます。
青空を背景としたフジの花と見比べてみました。
昨年のブログで、フジの花は、クマバチが蜜を吸いやすい花のつくりになっていることを紹介しました。
今年も、藤棚近くでは羽音を立てながらクマバチが飛んでいて、日中はなかなか藤棚の近くで撮影ができませんでした。
撮影中に、藤棚の近くを小鳥が飛んでいると、クマバチが小鳥を追いかけていき、慌てて小鳥が逃げていく様子も目撃しました。
恐る恐る、クマバチを撮影してみました。
そこで、クマバチの活動時間を観察していると、朝方と夕方は藤棚の回りを飛んでいないことが分かったので、今年はこの時間帯の写真を紹介しています。
というわけで、皆さんもフジの花見を楽しみたい時は、朝夕の時間帯を狙って楽しんでくださいね!
来年も、村高の藤棚にすてきな花が咲く事を願っています。
黄昏を過ぎて、月がくっきりと浮かび上がってきたところでシャッターを切りました。
今回もブログを見てくださりありがとうございました。
日も長くなり、これから気温の高い日が増えていく一方で、梅雨に入ると時折涼しくなる日もあることでしょう。(東北地方太平洋岸は、梅雨時にやませの冷涼な風が吹くと本当に肌寒く感じます。)皆さん、くれぐれも体調管理に留意してお過ごしください。
【校長のつぶやき】村田高校桜アルバム2025(2025.4.22)
授業も始まり、学校には明るい生徒の声や笑顔で溢れています。部活動登録を終えて、元気よく活動する新入生も姿も見られます。
村高の広大な校地内では、様々な種類のサクラが美しい花を咲かせました。
今回のブログは、私が一週間ほどかけて校地内で撮ったサクラの花の写真を紹介します。
まずは、1年1組教室ベランダから眺める満開のサクラです。窓側の座席からは心も華やぐ眺めを楽しめます。
2階コモンホール吹き抜け窓からの眺めもとてもきれいです。
2階保健室奥の窓の向こうには、サクラが陽光に照らされて明るく輝いていました。
くるりと廊下反対側を眺めると、番外編・ステンドグラスの柔らかい光を楽しむことが出来ます。
綿雲とサクラ。校地を囲むサクラの木々が満開を迎えました。
雨雲とサクラ。今年は、サクラが見頃を迎えた頃に、雨模様の天気が続きました。幸い、風があまり強くならなかったこともあり、長い期間サクラの花を楽しむことが出来ました。雨雲を背景に、淡い光が差し込んだ夕景のサクラです。
体育館吹き抜け窓から見下ろしたサクラの木。私のお気に入りの場所です。
体育館吹き抜け窓から見上げた桜の木。天然のステンドグラスのように光が柔らかく好き抜けスペースに届いています。
校舎から体育館への連絡通路から、体育館脇のサクラを眺めました。村高校舎には、実習棟をつなぐ渡り廊下が多く、その廊下は斜面を階段で横切っています。どこから眺めても立体的で奥行きのある景色を楽しむことが出来るのが、大きな特長だと思っています。
雨上がりの美しいサクラの光景を写真に収めることが出来ました。
シャッターチャンスは、雨上がりの晴れ間の時間に訪れました。水たまりに美しい空の青色とサクラの花のピンク色が映える写真です。
咲き誇るサクラの花を写す水面が、舞い落ちた花びらを優しく受け止めていました。
サクラの花が春のそよ風に誘われ、雪のように降り落ちる夕方、校門から駐車場に登るスロープを見上げてシャッターを切りました。
スロープを見下ろすと、花を付けたサクラの枝がトンネルを作っているかのような光景であることが、よく分かっていただけると思います。
番外編として、撮影中に校地斜面に姿を現したキジの姿を紹介します。庁務員さんのお話では、本校校地にはつがいのキジが3組ほど生息しているそうです。
(キジが校地内を行き交う姿は、多くの村高生が目撃していることでしょう。)
みるみるうちに、降りしきる雪のように花びらが舞い、雪が降り積もるように地面を淡いピンク色に染め始めました。
村田高校桜アルバム2025は以上です。来春もまた、美しいサクラの花々が村高に、彩りを添えてくれますように。
このブログを見てくださったすべての方に、たくさんの幸せが訪れることを心より願っています。
【校長のつぶやき】入学式・始業式がありました (2025.4.8)
4月8日(火)、本校では午前中に始業式、午後から入学式が行われ、今年度村高生の学校生活がスタートしました。
新入生35名が新たに加わり、総勢、生徒150名、教職員55名で新学期を迎えました。
入学式前日、新入生の教室を回ってみました。新担任の先生が、新入生を迎える最終準備をしていました。
この黒板のメッセージ中央に、生徒の座席が分かるよう、マグネットの生徒表示が準備されていました。
掲示物からは、担任の先生の新入生に対する温かい思いが伝わってきます。「5つの『あ』」の掲示、素敵ですよね。担任の先生オリジナルなのかなぁ!?
こちらも、座席表を表示していました。
机の整えられた教室が、新入生を待っています。
中庭のサザンカらしき美しい花、今年2回目の開花となったようです。
また、体育館入り口奥手の野球場下斜面には、桜の花が咲き始めています。
ちなみに校地を囲むソメイヨシノの桜は、まだほとんど咲いていません。
午後からは、20名の御来賓の御臨席を仰ぎ、入学式が挙行されました。
「入学許可」の呼名では、新入生のしっかりとした返事が壇上まで届きました。
また、村田町長・大沼克巳様、本校同窓会長・髙橋秀夫様より御祝辞を頂戴しました。ありがとうございました。
新入生代表宣誓では、入学までの受験勉強について、努力してきた事がよく伝わりました。また、本校入学後の学校生活についてしっかりと抱負が語られていて、大変気持ちの良い決意表明がなされていました。緊張の中、大変素晴らしい宣誓を聞くことが出来ました。よく頑張りましたね!
私は、式辞を通して「自分に縁があった学校が、自分にとって一番良い学校」であることを新入生に伝えました。
私自身が、かつて「学校群制度の入試」を経験して高校生になったことを紹介することで、「入学するに至った学校(自分に縁のあった学校)での生活を大切にして欲しい」と新入生にエールを送りました。
今年度、役職定年を迎える私にとって、今回が「人生最後の入学式式辞」となります。
以下、入学式式辞を紹介します。
式 辞
優しい風が村田の地を吹き抜け、草木に命の息吹を届ける時節となりました。行く風は、里山に花や若葉の彩りを添えつつ、残雪をまとう蔵王連邦の山並みに向けて、ゆるやかに季節を運び上げています。
本日この春の良き日に、村田町 町長 大沼克巳 様をはじめとする多数の御来賓、保護者・御家族の皆様に御臨席を賜り、令和七年度入学式を挙行できます事に心より御礼申し上げます。
ただいま入学を許可いたしました三十五名の新入生の皆さん、創立百一年目の歩みをはじめた歴史ある本校への入学、おめでとうございます。合格発表の日、皆さんがはじける笑顔で御家族とともに合格を喜んでいる姿が、とても印象に残っています。
本日、晴れて宮城県村田高等学校の生徒になりました皆さんを、在校生・教職員一同 心より歓迎します。またこの日まで御子息・御息女の成長を見守り、支えてこられた保護者の皆様、感慨いかばかりのものでしょうか。心よりお祝い申し上げます。
本校は大正十三年 宮城県村田実科高等女学校として開校し 昭和二十三年に宮城県村田高等学校となり、これまでに一万人以上の卒業生を輩出してきた伝統校です。私は丁度一年前、本校に赴任しましたが、村高生の心の温かさ、他者を思いやり互いに気を配りあえる優しさ、学ぶ姿勢を大切にしている誠実さなどが素晴らしいと常に感じています。私が自分の学校を褒めるのは、手前味噌で少し気恥ずかしいのですが、村高は、生徒が生き生きと学校生活を送り、それぞれの可能性を伸ばすことができる学校です。私は、今年度校長として役職定年を迎えますが、最後の年を本校で迎えられたことに、感謝と大きな誇りを感じています。
新入生の皆さんは、どのような気持ちで本日の入学式を迎えているでしょうか。是非とも村高で学びたいという、強い思いを持ち本校を受験した新入生は、心からの喜びと希望を持っていることでしょう。
その一方で、もしかしたら皆さんにとって他にも入りたい「もっと良い学校」があった人もいるのかもしれません。では皆さん、「良い学校」とは、どのような学校なのでしょうか。勉強の成績が良い、いわゆる「学力偏差値が高い学校」が良い学校でしょうか。地域で認められる「ブランド力のある学校」とか、「近くて通いやすい学校」とか「学びたい学科や活動したい部活動がある学校」とか、「兄弟が通っていた学校」が良い学校だと思う人もいるかもしれません。ここにいる、三十五名の皆さん一人一人の「良い学校」のイメージがあって構わないと思います。どれが正しくて、どれが間違っている、ということはありません。
では、新入生の皆さん、私の考えを聞いてください。
私は「自分に縁があった学校が、自分にとって一番良い学校」だと考えています。
今から四十四年前、私は愛知県で入試を受けて高校生になりました。当時、愛知県の一部の高校には学校群制度という入試制度がありました。この入試は、二つの学校、A高校とB高校がグループになり、入試で両校入学者をあわせて選抜し、その合格者を、学校側がA高校合格者とB高校合格者とに振り分けていく、というものです。入試では「私の第一志望はA高校です」とか、「私はB高校に入りたいです」という本人の希望は一切聞かれません。学校の気風も異なります。例えば、私の通ったA高校のラグビー部は県内の強豪校でしたが、B高校にはラグビー部はありませんでした。生徒は、合格できた学校にある部活動を選ぶことしかできません。私の家からはB高校の方が近かったのですが、A高校に振り分けられたため、私は、毎日自転車でB高校の脇を通ってA高校まで通いました。
私の受験した年は、受験会場、合格発表会場がともにA高校でした。合格発表の掲示板は通路を挟んで両側に、壁のように設置されていました。千名ほどの受験生は、まずは、自分の行きたい学校の合格掲示板で自分の受験番号を探します。
見つからないと次は、振り返って背中側の掲示板から、自分の受験番号を探すのです。合格発表会場は、希望する学校に合格して大喜びする受験生、複雑な表情で合格を喜ぶ受験生、不合格を知りがっかりする受験生と、実に様々な表情に満ちたものでした。
A高校の生徒となった私は、かけがえのない出会いや経験に恵まれ、それらは大きな財産となりました。高校時代に、部活動を指導してくださった恩師の先生とは、今でも年に一度は御自宅に訪問させていただくなど、交流が続いています。
私は中学生の頃、A高校とB高校の、どちらが自分にとって良い学校なのか、ということはあまり考えていませんでした。こうした高校受験の経験があったからこそ、私は「自分に縁があった学校が、自分にとって一番良い学校」だと自然に考えられるのだと思います。
因みに、六歳下の私の弟は、私の後を追いかけたくて同じ学校群を受験しましたが、B高校での合格となりました。私は弟の合格発表に付き添いましたが、私と同じA高校に入りたかったにもかかわらず、B高校合格と分かったとき、本当に残念そうな表情をしていました。ですが、今考えると、弟にはB高校に良い縁があったのだと思います。
新入生の皆さん、皆さんにとっては、村田高校が一番縁のある学校だったのです。本校で、精一杯、自分らしく学び、友達を作り、かけがえのない学校生活を過ごしてください。
また、皆さんの活躍が、村田高校百一年目の新たな伝統を築いていくことにつながります。将来、皆さんの母校となる村田高校を「良い学校」にできるのは、学校の主役である生徒の皆さん一人一人の気持ちであることを、しっかりと胸に刻んで欲しいと思います。
保護者の皆様、改めまして本日は誠におめでとうございます。大切なお子様の成長を促すべく、学校は教職員一同、保護者の皆様との連絡・協力体制のもとで、教育活動に臨んで参ります。御家庭と学校がそれぞれの役割を認識し、共に足並みをそろえて協力・連携していくことで、大きな教育的効果が得られるものと考えますので、どうぞ本校の教育活動に対する、御理解・御協力のほど、よろしくお願いいたします。
本日 ご多用の中 ご臨席を賜りましたご来賓の皆様 誠にありがとうございました。今後とも入学生をはじめ村田高校に対するお力添えのほどよろしくお願い申し上げます。
結びに、高校生活の新しいスタートを切る入学生の皆さんと、この学び舎で学校生活を共にし、感動を分かちあっていけることを楽しみにして、新入生歓迎の式辞といたします。
令和七年四月八日
宮城県村田高等学校 校長 安斎 善和
式典を終えた体育館会場の様子です。(式典中は、写真撮影をすることが出来ないので終了後の写真で入学式の雰囲気を想像してください。)
ステージ壇上からの眺めは、このようになります。
最後に、ソメイヨシノはまだまだ見頃とはなっていませんでしたので、プール奥の「村高看板」の足下を彩る、かわいいスイセンの花を紹介します。
新年度がスタートしました。生徒、卒業生はもちろんのこと、このブログを読んでくださった全ての皆さんが元気に過ごせるよう心より願っています。
「卒業証書授与式」を終えて (2025.3.4)
3月1日(土)は、本格的な春の到来を思わせる穏やかな晴天に恵まれました。この晴れの日に、24名の御来賓の御臨席を仰ぎ、第59回卒業証書授与式が挙行されました。
卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。
卒業生呼名の全員の返事が、壇上にいた私にしっかりと届きました。卒業生の皆さん全員の、卒業式に対する真摯な気持ちが伝わってきて感激しました。
卒業式では、村田町長・大沼克巳様、PTA会長・近江正彦様より御祝辞を頂戴しました。ありがとうございました。
また、現生徒会長の送辞は、心のこもった優しく温かいメッセージで、感謝の気持ちが卒業生の心にしっかりと伝わったことと思います。素晴らしい送辞でした。
詩人・斎藤茂吉が蔵王を詠んだ詩の一節を用いるなど格調の高かった答辞。最後は感極まって流れる涙で言葉が詰まりましたが、充実した高校生活が思い窺える最高のメッセージでした。
校歌斉唱時には、今回初めて使用された音源が用いられました。1年次有志が収録に協力してくれたおかげで作ることができた新たな音源の元気な歌声に合わせて、卒業生、教職員も大きな声で校歌を歌いました。
私の式辞は、昨年11月1日に挙行された、本校創立100周年記念式典の式辞からの続編のように仕立てました。詩人・童話作家 宮沢賢治の作品「銀河鉄道の夜」をモチーフとして、100年前の村田町に軽便鉄道が走っていたことに思いを寄せながら、私の恩師、地理学者・米地文夫先生への感謝の意も込めて作りました。
卒業生の皆さんが、これからの人生で「本当のさいわい」を探しながら心豊かに過ごしていくことを願っています。以下、式辞を紹介します。
式 辞
雪の衣をまとう蔵王の峰は麗しく、それでも日差しは和らいで、春の本格的な訪れを間近に感じます。
本日、村田町長 大沼克巳 様、本校PTA会長 近江正彦 様 本校同窓会会長 高橋秀夫 様をはじめ、多くの御来賓、保護者、御家族の皆様の御臨席のもと、令和六年度卒業式を挙行できますことは誠に大きな喜びであり、心より御礼申し上げます。
ただいま 卒業証書を授与されました四十五名の卒業生のみなさん 卒業おめでとうございます。在校生・教職員一同 心よりお祝い申し上げます。
また、この日までご子息・ご息女を手塩に掛けて育ててこられた保護者・御家族の皆様、今日の節目の日を迎え、希望溢れる卒業生の姿に喜びもひとしおのことと拝察いたします。
本日の卒業式は、前身となる宮城県村田 実科高等女学校設置から百年を迎え、創立以来の卒業生の数が一万人の大台を超える、本校にとって記念すべき式典となりました。この晴れやかな舞台を、卒業生、御臨席の皆様と共にできることを大変光栄に思います。
さて、人生百年時代を生きていく卒業生の皆さんの門出にあたり、私が一番に願っている事は卒業生一人一人が「心健やかに幸せな人生を歩んで欲しい」ということです。皆さんの存在は、それぞれに等しくかけがえがなく、尊いものです。
そして、言うまでもなく、例えば就職に際して、従事する仕事の種類や地位・肩書き、収入額などが決してその人の価値や、幸せの度合いを定めることにはならないでしょう。
それでは、「幸せな生き方」とは、一体どのようなものでしょうか。
岩手県花巻市出身の詩人・童話作家 宮沢賢治の作品「銀河鉄道の夜」は、物語全体に楽しい場面や悲しい出来事がちりばめられた、不思議で謎めいたお話です。主人公の少年ジョバンニは、友人カムパネルラと銀河鉄道に乗り星空の幻想空間を旅します。そして、この二人が、列車を乗り降りする乗客の生き様を通して「本当のさいわい」に思いを巡らせていきます。
列車に乗る二人は、近くの座席に座る、捕まえた鳥を売る商売人や、家庭教師と二人の姉弟など、様々な登場人物との会話を通して、それぞれの乗客が様々な人生を歩んできたことを知ります。家庭教師の青年と二人の姉弟は、氷山にぶつかり沈んでしまった船に乗っていました。海に漂う三人は、救命ボートに乗れず、ほどなく銀河鉄道に乗車してきたのです。列車の乗客は、「正しい道を進んでいれば、どんなにつらいことであっても、本当の幸福に近づけている」と彼らを慰めます。
列車の窓からサソリ座の星が赤く燃える様子を見ると、姉弟の姉は「沢山の命を奪ってきたサソリが、自分が死ぬとき『本当のみんなの幸せのために自分
の体を使ってください』と神様にお願いした」一節を語ります。やがて、彼らは神様のところへ行くため南十字星の駅で列車を降りていきます。
旅を続けているうちに乗客はジョバンニとカンパネルラだけになってしまいます。ジョバンニは、カンパネルラに「僕はもう、あのサソリのように本当にみんなのさいわいのためならば、僕の体なんか百ぺん焼いても構わない」と話します。「僕たち、どこまでも一緒に行こう」と言ってカンパネルラのほうを見ると、その姿は、もう座席にありませんでした。
泣き叫ぶジョバンニは、カンパネルラが川に落ちた友人を助けた後、そのまま行方が分からなくなっていたことを知るのです。
私の大学時代の恩師、地理学者・米地文夫の著書「『銀河鉄道の夜』解体新書」によれば、この作品が楽しさと悲しさ、そして不思議さとを併せ持つのは、完成前に賢治がこの世を去り、断片的な原稿が、無理矢理つなぎ合わせられたからだと論じています。
さらに、賢治の創作活動に大きな影響を与えたのが、当時の花巻市を走っていた二つの鉄道路線だとして、作品を貫く、悲しい旅の場面は東北本線夜行列車の大きな蒸気機関車、そして垣間見える楽しい旅の場面は、岩手軽便鉄道の小さな蒸気機関車が牽引する客車に着想を得たものだと区分しました。
賢治がこの物語の原稿を書き始めたのが、今から百年前。この頃、村田の地にも仙南温泉軌道の小さな蒸気機関車が客車を牽いて走っていました。
賢治が、ふるさとを走る夜汽車に着想を得て童話「銀河鉄道の夜」を生み出し始めた頃と時を同じくして、本校は軽便鉄道の汽車が走っていた村田町で産声を上げました。それから百年の節目に皆さんはここを旅立ち、それぞれの道のりを歩み始めます。
鉄道の旅になぞらえれば、皆さんはここ村田高校駅で、かけがえのない経験をしっかりと胸に刻みました。各系列で取り組んだ日々の授業、実習。人生初
の飛行機搭乗となった人も多い修学旅行。大阪の自主研修では迷子の友達を探しに行ったことで、新たな迷子が発生しました。学年が団結した学校行事、部活動の大会、作品展、学校の垣根を越えた連合チームの仲間との思い出、全国大会での輝かしい成果。
百年に及ぶ時代を生きていく卒業生の皆さんは、今から百年前の人が、スマートフォンを持ちGPS機能を使いこなす私たちの生活を考えつかなかったように、これから、想像を遙かに超える文明の発展を目の当たりにしていくことでしょう。しかし、「便利で豊かな暮らし」が、必ずしも「本当のさいわい」をもたらしてくれるとは限りません。
賢治がそうであったように、皆さんもこれから出会い、見聞きする様々な経験を通して「本当のさいわい」について考え続け、それを大切にしながら、日々を誠実に過ごして欲しいと思います。
人生の旅を続ける皆さんが進む線路の、遙か先に広がる終着点の光景が、皆さん一人一人にとって美しく何よりも愛おしいものであることを願っています。
保護者の皆様には、三年間にわたり、本校の教育活動推進のために温かい御支援と多大なるお心遣いを頂戴したこと、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
また、本日ご多用の中、御臨席賜りました御来賓の皆様の、常日頃からの御厚誼に心より感謝申し上げ、結びに、本日御参加の皆様、そして卒業生の前途に幸多からん事を、心より 祈念して式辞といたします。
令和七年三月一日
宮城県村田高等学校 校長 安斎 善和
式典を終えた体育館会場の様子です。
壇上にあった、美しい花の生けられた花瓶は、事務室前廊下に移動しました。
卒業生が去った教室の様子を紹介します。
3年1組の黒板アートです。
3年1組のカウントダウンカレンダー、日めくりの最後の1枚です。
3年2組の黒板アートです。前の黒板と後ろの黒板に描かれていました。
3年3組の黒板アート
3年3組は体育祭総合優勝でしたね。賞状、トロフィーが残されていました。
校地内でふきのとうが顔を出し始めていました。・・・もうすぐ春ですね。
春の日差しの渡り廊下。 卒業生の皆さんが、いつまでも元気で幸せに過ごせますように。
【校長のつぶやき】「令和7年スタートしました」 (2025.1.21)
皆さん、本年もブログ「校長のつぶやき」をどうぞよろしくお願いいたします。
さて、いよいよ今年度も締めくくりの時期になってきました。冬休み明けの全校集会の挨拶の抜粋を紹介します。
村高生の皆さん、改めて、今年も高校時代を大切にして過ごしましょう!
【冬休み明け集会挨拶より】
(途中略)
さて、いよいよ年も明け、3年次の皆さんは卒業式まであと二ヶ月を切りました。早く卒業したい、という人もいるかもしれませんが、時間は巻き戻すことができません。
年の初めの挨拶にあたり、1、2年次の皆さんも含めて、人生の中で高校時代という期間がかけがえのないものであることを改めて感じて欲しいと思います。
今から14年前の12月、毎日新聞の朝刊で、当時高校3年生だった女子生徒の投稿が紹介されていました。彼女は、「今を大切に、後悔しない人生を」というタイトルで、高校生活をこう見つめ、言葉にしていました。
『高校に入学して、たくさんの経験をした。楽しいこと、苦しいことなど数え切れないほどの思い出ができた。その高校生活も残り少ない。あとは卒業するだけだが、軽い気持ちで毎日を過ごしたくない。今着ている制服、教科書、そして友達との別れの時が少しずつ近づいているのだ。何気ない一日一日が心に残っている。高校生活は取り戻したくても、取り戻せないものである。』
そして、国語の先生が授業中に話してくれた言葉を紹介して、次のようにまとめていました。
『「18歳は10億円出しても再現することはできない」。確かにどれだけ多くのお金があっても、過去に戻ることは不可能である。だから私は今を大切にし、後悔しない人生を送ろうと思っている。高校生活は今しかできない。残りの3ヶ月を充実させ、大切に過ごしていくつもりだ。』
当時熊本県の高校生だった彼女は、何事もなければ、現在32歳になっています。私は、もしチャンスがあれば、現在の彼女に、「あなたの高校生活はどれほど輝かしいものでしたか。」と聞いてみたいです。
この投書は、高校生自身が高校時代を見つめて、大切にしている事を発信しているものだったので、皆さんに紹介させてもらいました。
私も勿論ですが、本校の先生方も、それぞれがかけがえのない高校時代を過ごし、そこで得られたことを大切にしてきたからこそ、高校での教員・職員という仕事に就いているのだと思います。
もうすぐ開校101年目を迎える村高で、「かけがえのない高校時代を大切に」という思いを掲げ、今年も生徒の皆さんと教職員が、心を通わせながら学校生活を送れるよう、精一杯努めていきたいと思います。
今年一年、村高生の皆さんが、学校生活を通して数々の体験を重ね、そうした出来事に支えられたり、時には苦しみながらも、多くを学び、成長していけるよう心から願い、年始の挨拶と致します。
3年次の教室には、卒業までの登校日「カウントダウン 日めくりカレンダー」が設置されています。
私は、毎朝全クラスを訪れて生徒の皆さんと挨拶を交わしていますが、3年次の皆さんの登校日が少なくなっていくことをこのカレンダーを見て実感しています。残り少ない登校日を、充実させてくださいね!
また、17日には、校長室で生徒会執行部の生徒の皆さんに委嘱状を渡しました。村高101年目に向けて、力を合わせて素敵な学校を作っていきましょう!
【おまけ】
本校吹き抜け階段スペースにあるステンドグラスを紹介します。
夕刻のステンドグラスが美しい表情を見せてくれました。
村高の校舎は、楽しみどころが沢山ありますよ!